親が離婚する。
仲の悪い夫婦だった。妹の卒業に合わせて、二人はやっと離婚する。
思えば、二人が恋人らしいことをしてることは何一つなく、
父親が仕事にでるまえに、母親の頬にキスをしていた。けれど父親が出た瞬間に、こするうように頬を洗っていた。まるで汚物を必死に取り除くように。
父親の片思いなのかな、と思いきやそうではない。たぶん父親は本で読んだ、家族像をなぞっているだけなのだ。「仕事前にキスをする」「優しく見守ろうとする」ただどれもが、自分の意思じゃない。したいからしてるわけじゃない。こうするんだろう、という観念みたいなのが自分の内側にあって、それを遂行してるだけだ。
母親はずっと父親の悪口を言っている
父親は本当に空気が読めない
祈るように思う。どうしてもっと幸福な家庭に生まれなかったのかと。
自分よりすさんでいる家庭なんてたくさんあるだろう。世界中から見たら、私の家庭は幸福な部類に入るだろう。わかってる、わかってる。けれど、自分の人生1度きりなのに、こんな歪んだ家族の一員になりたくなかった。
親のお金で育ててもらった。でも、彼らから何も教えてもらったことはない。自分の人生が合ってるか、不安で仕方ない。
妹に言われて知った。「小学生の時に、いじめられて、外で泣き叫んでいたよね」と。まったく覚えていない。いじめられてたのは覚えているけど。
私はひどく不幸だった。自分自身が悪いところもあった。いびつな家庭環境で、まっとうな人間に育つわけもなく。高校生くらいまで誰かにいじめられていた。一人ぼっちの教室で泣いて、ボールを強くぶつけられて傷ついて、泣き叫んだらネタにされて。他人から圧迫されて、生きてきた。
私は本当に人が好きなのかなあ。誰かと関わる仕事をして、楽しいって思ったかなあ。
仕事先では3時間。私の過去を知らない人たちに接客をした。その環境が好きだったのだ。どろどろの私を知らずに、笑顔を見せてくれる。好きでいてくれる。安心した。
仲良くなると一気に冷たくなるのは何故だろう。すごく面倒になってしまうのだ。最初は頑張った分だけ返ってくるけど、慣れると私の一方通行になる。それが許せない。ありあまるほどの愛を受けたことがないから、自分から愛することを放棄してしまう。
言葉が次々にあふれるなか、私は一つの答えにたどりつく。
あぁ私は愛されたいんだと。
誰かの中心にいて、「楽しいね」「面白いね」と言われたい。人より愛されたい欲が強いのだ。今まで家族からの愛を受けなかったから。愛なんてものを否定されてきたから。
だけど愛される術をしらず、ここまで生きてしまった。いじられキャラなんて、ゆがんだキャラクターを背負って。人一倍傷つきやすいのに、人一倍愛されようとする。そんなの叶うわけがない。傷つかずに得られる愛なんて、ひどく表面的だ。私はそれを信用できない。だって父親から私たちへの愛情表現とそっくりなんだもの。